「状況」は100%か?
友人の日記で、「結婚できないのは100%あなたが悪い」といった暴言の
メルマガに傷ついた、というくだりを読んで思い出したことがある。
わたしの血液型はB型で、それだけで「マイペースですね」とか
「わがままですね」と判断されてしまう。甚だ不本意である。
ちゃんと付き合った上で「わがままだなコイツ」と言われるのなら仕方がない。
とはいえ、NORIちゃんに言わせれば、相当わがままらしいので
あまり言えた義理ではないのだけれど、
一通りの苦難を乗り越えた人だけは、わたしのことを
「わがまま」と呼ぶ資格があると思う。
要は、血液型だけでそう思われるのは、不本意なのだ。
今、TVを見ても、人と話しても、その人の置かれている「状況」だけで
その個性を判断して決め付ける風潮があるような気がする。
たとえば、
結婚している/していない
子供がいる/子供がいない
男だ/女だ
専業主婦だ/兼業主婦だ
一人っ子だ/兄弟姉妹がいる
その他、学歴もそうだ。あげれば枚挙に暇がない。
これだけ「個性の時代」と謳っているにも拘らず、
状況に価値基準を置いた論調をよく目にする。
状況とは、望んでもたらされるものばかりではない。
たとえば、「子供がいない」という状況ひとつとってみても、
「産まない」人だけでなく「産めない」人もあることに容易に気がつく。
つまり、状況だけで本質を推し量ることはできない。
それよりも、「置かれた状況下で、この人はなにを学んでいるか」が重要だし、
その考察がなければ、人付き合いなんてつまらないと思うのだ。
先にあげた血液型云々は、そう深刻の度合いは深くはないし
笑ってすむことのほうがほとんどだ。
しかし、深刻の度合いは違えども、根底に流れる問題点は近いような気がする。