血族
山口瞳の「血族」を読了。
ここ1年くらい、寝る前に読む本は内田百間と決まっていた。
それを中断してまで読みたかったという点で、まさにわたし的には快挙となる1冊である。
わたしは、山口瞳のことはあんまり好きではない。
この作家は、とてもあまのじゃくだ。
それに、非常に男性的な視点を持つ人だと思う。
そこがどうも鼻につく。鼻につくのだけれど、「血族」は本当に面白かった。
好きな作家であっても好きになれない作品があるのと同じように、
好きな作家ではないのに、面白く読める作品があるのかもしれない。
なにがそんなにわたしを惹きつけたのだろうか。
「血族」は、郷里を離れて暮らす人には
心情的に共感する点が多い作品ではないかと思うのだ。
この本を読んでる最中に、私自身伯母が亡くなり、
愛知県の片田舎に行く体験をした。
親族と会って話したり、懐かしい郷里を訪ねている間中、
ちょうど山口瞳が柏木田を訪れるくだりを脳内でずっと反芻していた。
境遇は人それぞれであるし、時代も違うから
この作家と私自身とがオーバーラップするということはない。
しかし、長い年月を経て蓄積された隔たりというものが、
そこには共通して流れてはいないだろうか。
たとえば、言葉。
その地方に暮らす人と、長らく地域から遠く離れた者とでは、
もうその語る方言は別のものになっている。
都会暮らしが長いのに無理をして出生地の言葉を話す人が
空々しいのはそのせいだろう。
親族の中では「他人」に、より近づいているとも言える。
この小説の場合は、山口瞳の出生のいきさつが
彼を親族の中で異端たらしめる結果になって、
彼は長らくその疎外感に苦しめられてきたのだと思う。
これは、長く地元を離れてしまった者が感じる
疎外感に根底は近いのではないかと思う。
山口瞳があまのじゃくで、自分自身のことを真正面から
受け止めることがどうにも苦手なのは、
疎外感から身を守るために必要なものだったのかもしれない。
わたしは、その部分にいやなものを感じながら、共感してしまった。
非常に気になったので、「血族」の続編(?)とも言えるらしい
「家族」を読むことにした。
わたしは本当に山口瞳が苦手なのだろうか?