自分の感受性くらい
茨木のり子さんがなくなったそうです。
大変驚きました。
茨木さんといえば「自分の感受性くらい」をよく引用している方を見かけます。
とても厳しい、がんと頭を殴られるようなコトバの強さに
皆、心を打たれるのです。
しかし。しかし。
「自分の感受性くらい」は、戦争で茨木さんが失いそうになったもの…
美しいものや、心優しいなにもかもを否定することに慣れきってしまった
「自分自身」に向けて書かれたものであり、
一般的に言われてるように、第三者を叱るために書いたものではない、と
茨木さんが、大学生のインタビューに答えておられました。
わたしは、これを読んで、茨木さんの深いところを
触ってしまったような気がしています。
現代に生きるわたしたちが「戦っている」状況と
当時、本当の「戦争」に晒された者とでは比べようがないではないか…。
そこに頭をガンと殴られたように感じました。
茨木さんの詩には、戦争のこと、家長制度のこと、
古くからのしきたりに囚われているさまざまな事柄に触れた
すばらしい詩がたくさんあります。
どう読むかは、読み手の感性にゆだねられてよいはずです。
きっとこの先も「自分の感受性くらい」に共感する人は
増えていくことだろうと思うのです。
思うのですが、そうであれ、そのコトバの背景にある状況も
きちんと伝える必要があるのではないか、とも。
ああ、まったくもって表裏一体です。
ご冥福をお祈りいたします。
おんなのことば
茨木 のり子