鬼火
そしてそれが一瞬の光芒を誇りながら、
再び闇の底に沈んで行った後には、
唯一団の青白い焔が、鬼火のように閃々と明滅しながら、
飄々として、湖水の闇の中を流れて行った。
(横溝正史「鬼火」より)
オリジナルイラストです。
横溝正史は、金田一耕助シリーズで有名な作家ですが、「鬼火」は探偵小説ではありません。
戦前の正史の作品には耽美的なものがいくつかあり、
中でもわたしはこの「鬼火」を最も愛好しています。
「鬼火」は、どこまでも憎み合った従兄弟同士の、壮絶な愛憎劇を執念深く描ききった作品です。
「鬼火」が最初に発表された雑誌は、昭和10年の「新青年」。前後編にて掲載されましたが、
その当時に掲載された挿絵は、竹中英太郎という画家によるもので、傑作と評されました。
私自身、初めてその挿絵を見たときの感動は、
「鬼火」を読んだときの衝撃に引けをとらないものでした。
わたしも描くなら「鬼火」を描いてみたい、と同時に、
竹中栄太郎に対する敬愛の気持ちも込めたいという思いが高まりました。
どのシーンを描いたらいいだろう…。悩みに悩みぬいた末、
出した結論は、ラストシーンから膨らませてみることでした。
代助と万造は、画家として成功を収めつつあった存在でしたが、
彼らは従兄弟同士で、幼い頃から憎みあっていました。
代助が画家として成功を収めようとすると、万造も画家になって代助を打ち負かそうとしました。
代助と万造は、お互いの存在がなくては生きてはいけない、愛憎表裏一体の存在だったのです。
また、この画家の間を行ったり来たりしていたお銀という女は、
得になるほうに付く計算高さを持ちながら、妖艶でつかみ所のない魅力を持っていました。
竹中英太郎が描いたお銀は、はてしなく美しく妖しい、儚げな存在でした。
わたしのイラストでも、お銀のイメージはあくまでも儚くなりました。
ところで、イラストの湖面に浮かんでいる仮面は、万造がつけていたものです。
万造は、鉄道事故に合い、大やけどを負って二目とは見られない顔になり、
仮面をつけて決して素顔を人前にさらすことはありませんでした。
底なし沼にボートを出し、代助を誘い出して殺してしまおうと襲い掛かったとき、
万造はボートから誤って落ちてしまいます。
とっさに代助は棹を万造に差し出し、助けようとします。
ところが、棹を引き上げる刹那、万造の仮面が落ちて、その素顔を代助に見られてしまいました。
代助にだけは見られたくなかった、その醜い素顔を…。
万造は、ずるずると底なし沼に沈んでいきます。
「代ちゃん……あばね!」という、郷里の別れの言葉を残して……。
その後、お銀も代助も結局沼の底に沈む運命になってしまうのですが、
沼の底で、代助と万造は、やはりいがみ合っているのでしょうか。
お互いの存在を認め合える距離にいなければ気がすまないというのに。
余談ですが、わたしはこのイラストを描く際、ムーンライダーズの「鬼火」という曲を繰り返し聴いていました。
ライダーズの「鬼火」は、ルイ・マル監督の映画『鬼火』からインスパイアされて作られた曲だと認識しています。
しかしながら、前奏や間奏の物憂いヴァイオリンのあの旋律が、
そして歌詞にも出てきた「生き損なった俺の心」等の表現が、
まさに正史版「鬼火」の世界観に合致しているような気がして仕方がないのです。
(展示解説より転載)
展示風景です。
今回の描き卸作品の中で、個人的に一番気に入っている作品が、この「鬼火」です。
手すき和紙に印刷しました。
「横溝正史のイメージで、こういうのは見たことがない」という評価が圧倒的に多かったです。
おそらく、大勢の方々の中には、角川文庫の一連の杉本画伯のイラストの
イメージが大きいのではないかと思います。
わたしが惹かれる横溝正史や夢野久作、久生十蘭らの世界とは
「血みどろの凄惨な殺人現場」ではなく、その背景にある
「人の心の闇」であり、切なさ、やりきれなさ、苦しさ、厭らしさ、そして悲しみです。
雑誌「新青年」の頃の探偵小説が特に好きなのには、そこに理由があります。
「なんちゃってカバー」です。
「鬼火」は、竹中英太郎の挿絵も全点収録されて(!)、
創元推理文庫「日本探偵小説全集(9)横溝正史集」に収録されています。
追記:竹中英太郎氏の名前を「栄太郎」と間違えておりましたので、
謹んで訂正いたしました。ご指摘ありがとうございました!>襟裳屋さま(2006.09.02)