キャスティング
シンプソンズ・ザ・ムービーのキャスティングが、TV版のオリジナルではなく、タレント起用になったことはファンの間で大問題となり、「声優変更を考える会」まで発足した経緯はご存知だろうか。シンプソンズといえば、CCレモンのCM。大平透の「ドゥ~!」がものすごくツボで、一時期、ことあるごとに「ドゥ~!」を連呼したことがあった。が、ケーブルTVが見れないので、わたしはシンプソンズを観たことがない。ないのだけど、あまりにもあのCMのインパクトがすごかった。日本のシンプソンズファンはどちらかといえば熱狂的な人が多いように思われる。地上波でやってくれればなぁ~。DVDボックスも出てるみたいです。
この声優問題については、わたしは直接はあまり知らなかったのだが、友人がその運動に深く関わっていることもあり、その経緯を友人の話や会のブログを通じて知り、非常に驚いた。シンプソンズファンの力というのはすごいもので、FOXサイドは、DVDにはオリジナルキャスト版を収録すると約束をした。また、FOXサイドのみならず、今回の声優交代劇をうけて、「今後はホーマー役を一切やらない」と激怒していた大平透をも動かした。シンプソンズファンがこんなにたくさんいることや、「ホーマーといえば大平透」を熱望している人がたくさんいる事実を、大平透ご自身がほとんどはじめて実感されたらしい。こういう事実にもわたしは驚いた。その声が届いたことは、今回の騒動の唯一の(しかしながら、たいへん大きな)収穫ではないかと思う。
この騒動を知って思い出すのは、ヴォネガットの「国のない男」の翻訳が浅倉久志さんではなく(伊藤典夫さんでもなく)、金原瑞人さんである事実だった。ヴォネガットといえば浅倉・伊藤両氏だと思っていた。が、当たり前だと思っていたら、それは違っていた。編集者の「従来路線を打ち破る」方針で、浅倉・伊藤ラインはパスされた格好になり、私自身はものすごいショックを受けた。従来路線を打ち破ったため、いつものヴォネガット節ではなく、個人的な本音を言えば納得できないものであった。
ただ、「国のない男」は、売れまくっている。ハヤカワだったらこうはいかなかったんじゃないだろうか。今日、書店で「国のない男」の奥付を見たら、なんと6刷りだった。20年以上ヴォネガットを読んでいるが、ヴォネガット本がこんなに長い間、平積みになっている状態を、わたしは見たことがない。何が違うのだろうか。
それは、「国のない男」がいい本だからだ。内容はモチロンだが、それだけではない。編集者の気遣いが、隅々にまで行き渡っている、いい本だからだ。そう思う。手に取ったときの重さや大きさもいい。字の大きさもいい。本当に、とてもいい本だと思う。こんな風に大切に作られている本ってあまり出会えない。そこが消費者の心の奥底に訴えてくるのだと思う。
ある日、友人から「このまえ、タイトルを忘れちゃったけど、太田光の推薦文が帯に書いてあるヴォネガットを読んだよ。初めてだったけど、凄く面白かった」とメールが来た。「その本のタイトルは「国のない男」だよ~。大切に作られてる、いい本だよね」と返事をすると、「ああ、よかった!いい本だったんだ」とさらにお返事をいただいた。そして、ヴォネガットに興味を持ってもらった。次に読むなら、これこれがいいよ。楽しんでね。そう伝えることができた。
キャスティングについてはいろんな思惑があるし、古参のファンにはいつも享受されている環境がいつまでも保障されているなんてことはありえない。けれど、古参のファンがとる行動のために、「騒動の蚊帳の外の人」にとって、近寄りがたいものにすることは、誰のためにもならないと思う。事情があって、想像し得なかったキャスティングとなってしまったとしても、それまで仕事をしてきたベテランの味は落ちることは絶対にない。また、新キャストだってきっといい仕事をするはずだ(と思う)。もちろん、誠意のない仕打ちをする人もあるだろう。特に、今回のシンプソンズの所ジョージの発言については、ろくな評判を聞かない。が、いい仕事にしようと奔走している人は必ずいる。
いい仕事には敬意を払いたい。それが、味方を増やす近道なのだと思う。
この声優問題については、わたしは直接はあまり知らなかったのだが、友人がその運動に深く関わっていることもあり、その経緯を友人の話や会のブログを通じて知り、非常に驚いた。シンプソンズファンの力というのはすごいもので、FOXサイドは、DVDにはオリジナルキャスト版を収録すると約束をした。また、FOXサイドのみならず、今回の声優交代劇をうけて、「今後はホーマー役を一切やらない」と激怒していた大平透をも動かした。シンプソンズファンがこんなにたくさんいることや、「ホーマーといえば大平透」を熱望している人がたくさんいる事実を、大平透ご自身がほとんどはじめて実感されたらしい。こういう事実にもわたしは驚いた。その声が届いたことは、今回の騒動の唯一の(しかしながら、たいへん大きな)収穫ではないかと思う。
この騒動を知って思い出すのは、ヴォネガットの「国のない男」の翻訳が浅倉久志さんではなく(伊藤典夫さんでもなく)、金原瑞人さんである事実だった。ヴォネガットといえば浅倉・伊藤両氏だと思っていた。が、当たり前だと思っていたら、それは違っていた。編集者の「従来路線を打ち破る」方針で、浅倉・伊藤ラインはパスされた格好になり、私自身はものすごいショックを受けた。従来路線を打ち破ったため、いつものヴォネガット節ではなく、個人的な本音を言えば納得できないものであった。
ただ、「国のない男」は、売れまくっている。ハヤカワだったらこうはいかなかったんじゃないだろうか。今日、書店で「国のない男」の奥付を見たら、なんと6刷りだった。20年以上ヴォネガットを読んでいるが、ヴォネガット本がこんなに長い間、平積みになっている状態を、わたしは見たことがない。何が違うのだろうか。
それは、「国のない男」がいい本だからだ。内容はモチロンだが、それだけではない。編集者の気遣いが、隅々にまで行き渡っている、いい本だからだ。そう思う。手に取ったときの重さや大きさもいい。字の大きさもいい。本当に、とてもいい本だと思う。こんな風に大切に作られている本ってあまり出会えない。そこが消費者の心の奥底に訴えてくるのだと思う。
ある日、友人から「このまえ、タイトルを忘れちゃったけど、太田光の推薦文が帯に書いてあるヴォネガットを読んだよ。初めてだったけど、凄く面白かった」とメールが来た。「その本のタイトルは「国のない男」だよ~。大切に作られてる、いい本だよね」と返事をすると、「ああ、よかった!いい本だったんだ」とさらにお返事をいただいた。そして、ヴォネガットに興味を持ってもらった。次に読むなら、これこれがいいよ。楽しんでね。そう伝えることができた。
キャスティングについてはいろんな思惑があるし、古参のファンにはいつも享受されている環境がいつまでも保障されているなんてことはありえない。けれど、古参のファンがとる行動のために、「騒動の蚊帳の外の人」にとって、近寄りがたいものにすることは、誰のためにもならないと思う。事情があって、想像し得なかったキャスティングとなってしまったとしても、それまで仕事をしてきたベテランの味は落ちることは絶対にない。また、新キャストだってきっといい仕事をするはずだ(と思う)。もちろん、誠意のない仕打ちをする人もあるだろう。特に、今回のシンプソンズの所ジョージの発言については、ろくな評判を聞かない。が、いい仕事にしようと奔走している人は必ずいる。
いい仕事には敬意を払いたい。それが、味方を増やす近道なのだと思う。