中国とチベットについて
チベット弾圧については、政治的なことだし小難しいので
敬遠されている向きの方も多いと思う。
正直言うと、私自身も、深くは理解していない。
しかし、知れば知るほど、これは根が深い。
ということで、先日読んだ、ヴォネガットのエッセイ
「ヴォネガット、大いに語る」から今一度引用したいと思う。
ビアフラがナイジェリアから独立運動を起こした際に失敗した。
ビアフラの人民は飢えて、そして死んでいくしかない。
ビアフラを訪問したヴォネガットは、そのときのことを
帰国した後にアメリカの聴衆に伝える。
ビアフラのために、わたしたちにできることはないかとの聴衆からの問いに
「なにもないね」とヴォネガットは答える。
あるいは、せめてもの償いに、これからもナイジェリア人を憎むべきだろうか、と。
その問いに、ヴォネガットはこう答えた。
「そうは思わない」
わたしたちができることも、おそらくそうなのだろうと思う。
チベットを弾圧することは間違っている。
しかしながら、だからといって中国人を憎むことも間違っている。
民族浄化という恐ろしい言葉が、聞かれなくなるような世界になってほしいと思う。
思うことは、それだけだ。
あとは、自分のするべきことをするだけ。
仕事をきちんとしよう。
納期を守り、関わる人に迷惑をかけないようにしよう。
請け負っている仕事が、自分のスタンスに合っているかどうか位は
せめてはじめに確認しておこう。
もうひとつ、やはりヴォネガット「タイムクエイク」から引用する。
ぜひ読んでほしい。
トラウトの物語から思いだすのは、わたしの死んだ大叔母のエマ・ヴォネガットが、
中国人は大きらいといったときのことだ。
大叔母の娘婿で、ケンタッキー州ルイヴィルで《ステュアート書店》を経営していた、
やはり故人のカーフュート・ステュアートが、彼女をたしなめた。
そんなにおおぜいの人びとを一度に憎むのは邪悪なことだ、と。