鰻に思う

明後日の12日からグループ展。とはいうものの、わたしは個展の作品を出すので、もうとうの昔に準備は終わっている。必死で準備をしている同胞イラストレーター諸氏の苦労を思うと、なんだか楽をしているようで申し訳がないが、その苦労は2ヶ月前の私も経験したんだったと思うようにしている。

ところで、昨今の鰻偽装問題でやたらめったらニュースに上っている愛知県一色町は、わたしのほぼ郷里である。「ほぼ」というのは、生まれはその隣町の西尾市なのだけれど、小学校6年生のときから成人するまでは一色に住んでいたからだ。その一色町の産業の要のひとつがカーネーションで、もう一つが鰻である。この鰻を育てている場所のことを「養鰻(ようまん)の池」という。ちょうど一年前に、このことをエントリーにあげていたので、リンクしてみる。よいしょ。

養鰻の池についての話はともかく、一色町にわたしは現在ほとんど行くことがない。なぜなら、父亡き後、母は隣町の西尾市に越してしまったからだ。透析をする病院も近いので、西尾のほうが安心できる。引っ越してしばらくして、西尾と一色をつなぐ路線バスは廃線となった。足を持たない母にとって、引っ越したことは吉と出たわけだった。というものの、私自身は高校まで一色の学校に通っていたので、地元には友人も多く住んでいるし、縁の切れた土地とは言いがたい。そもそも、一色と西尾は似たようなもので、どっちも地元みたいなものだ。

名古屋の学校に通い始めた頃、一色は勿論、西尾のことも知る人が少なかったことを思い出す。同じ愛知県内なのに知らないのだ。都内だったら、23区に住んでたとしても、町田のことや八王子のことは知っている。行ったことはなくても、名前くらいは皆知ってるのが普通だ。ところが、名古屋の人は名古屋近隣以外の土地を知らない。それは、たまたまだったのかもしれないが、愛知の県民性のような気もする。

何が言いたいかというと、一色なんて愛知県内の人でさえ存在すら知らないくらい、ひっそりと、のんびりと、地味に存在している町だった。カーネーションの産地だとか、鰻の生産日本一とか、そんなことは地元民しか知らない。大提灯の祭りが日本三大なんとかに入っているとか。いや、確かに大提灯はすごい。今だってできれば見てみたいが、お盆休みも過ぎた8月末に早々休みを取っていける人は限られる。わたしは大提灯を20年以上もう見てないもんなぁ。って話がそれたが、そんな町が、ですよ。「鰻の偽装」なんて不名誉な事件で一躍有名になるって、どーなの、と。なんともいやな気持ちがする。あの広大な養鰻の池を思い出すと、偽装と結びつかないのだ。あんなだだっぴろいのに。広さと偽装は関係がないか。それよりビックリしたのが、寒空はだかさんの日記に、一色に行った話が書いてあることだった。