●ドレイクの方程式に新しい光を
イアン・R・マクラウドという作家の作品を初めて読んだ。
「夏の涯ての島」という短編集で、表題作も含め、あらゆる形式に則った愛の形が描かれている。
その中でとりわけ、わたしの気持ちを強く掴んだのが、「ドレイクの方程式に新しい光を」だった。
テアという女性と、トム・ケリーという男性。テアは生きるために目的を求め、トムは目的のために生きる。
やがて価値観の相違から疎遠になってゆく二人が、長い長い年月を経て再会する。
そして、テアが最後に取った選択に、はっとした。これはビョークの「ハイパー・バラッド」じゃないか、と。
もしもこの歌を知っている人がいたら、是非読んでほしいと思うし、
この曲を知らないでこの物語を読んだ人には、「ハイパー・バラッド」を聴いてほしいと思った。
イラストにも、その色合いが反映されている。ちょっぴりここにも「音楽山房」が盛り込まれてしまったようだ。
トムの生きる目的とは、地球外知的生命体をSETIを使って探し続けることだ。
舞台となっている時代では、もうSETIそのものは見捨てられた技術になっており、
彼は半ば世捨て人のように生きるが、最後にテアと再会した後、トムは再びその目的に誇りを抱く。
生きるために目的を求めるのも人生。目的のために生きるのもこれまた人生だ。
人の生きる道は、それぞれに誇り高く、そして美しい。そう思わせる作品だった。
●どろぼう熊の惑星
わたしとラファティとの出会いは結構古い。
「九百人のお祖母さん」がそれで、15年以上前になる。
しかしながら、かなりの間、ブランクがあった。
読んでも読んでもなぜか頭に入ってこないのだ。
どこが面白いのかがわからないうちに、ずーっと放置状態になっていた。
そして度重なる引越しの途中で紛失した。
古本屋に売ったのかもしれない。廃品回収に出したのかもしれない。
ところが、ここ数年、ラファティの長編が出たりして、また気になってきた。今なら読めるかも……。
と思ったが、時すでに遅し。「九百人のお祖母さん」はとっくの昔に絶版状態になっていた。
失敗したぁと思っていた矢先、神保町で「九百人のお祖母さん」との“再会”を果たす。
上製本ではあったが、本は出会ったときに入手するのが正しい。
ということで迷わず入手、表題作から読み始める。……あれ? 面白い。
結局、最後まで面白く読めた。が、大方の評価にあるような「爆笑する」という感じではなかった。
シュールさを味わう感じかなぁ、というのが感想だった。
そして「どろぼう熊の惑星」に進んだ。
あ、こっちのほうが読みやすいかな。相変わらず、残酷な描写も多いし、シュールだけど。
……と思っていた途中、頭の中で「かちっ」とスイッチが入った。
ああ、そうか、わかった! ラファティの味わい方を掴んだ瞬間だった。
このラファティ・スイッチが入った途端、面白いのレベルがぎゅーんと上がった。
気がついてしまったのだ。スイッチが入ってよかったなぁ。
というわけで、展示するイラストは、
この「ほら吹きおじさん」の軽妙な語り口てんこ盛りな雰囲気を出すため、ペン画で描くことにした。
首ちょんぱのシーンだって、こう描けばほら、ちっとも残忍じゃない。
おそらく、グリム兄弟やアンデルセンのように、
L・A・ラファティという作家の“おはなし”は、いつか伝承される類のものになるだろう。
小鳥が千年に一回、巨大な岩をつつきにやってきて、大きな穴があく頃に