第二文学山房

タイムクエイク(カート・ヴォネガット)

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タイムクエイク

タイムクエイク

今のタイミングで「タイムクエイク」(=時震)は不謹慎かなぁ……という心配がよぎったが、
やはりトラウトとヴォネガットのグランドフィナーレを飾るこの作品は外せない、と思いなおした。
タイムクエイクとは、過去十年をリプレイする現象だ。
これまで過ごしてきた十年間を、自分の意思とは無関係にやり直さなければならない。
あのときの事故を防ぐことも、あのときの失敗を防ぐことも、あのときの失言を取り消すこともできない。
皆一様に、自らのたどってきた、愚かしくも誇り高き十年をなぞる羽目に陥る。
ところが、リプレイ終了と同時に、自分の意思で行動をしなければならない。
何にも考えずに行動してきたのに、ある瞬間を境に、「自由意志」のスイッチが入る。

そうすると、人はどうなるか。たとえば、動く歩道に乗って移動をして、
歩道が終わると自らの足で一歩を踏み出さなくてはならないが、あなたが相当ぼーっとしていたとしたら……。
突如、動く歩道が終わり、おそらくあなたは前につんのめって転ぶだろう。
タイムクエイクとは、そういうことである。

十年間のリプレイ。非常に面白い発想で、 最後の最後にヴォネガットはSF的な要素の小説で
グランドフィナーレを飾ってくれたと思ったものだが、このリプレイとは、今のわれわれのことなのかもしれないと思うに至った。
自らの意思で考え、気づき、動けとずっと訴えてきたヴォネガットだった。
しかし、もう「坑内カナリア」理論だけでは追いつかない世界情勢に業を煮やし、
読者への最後の贈り物としてこの物語を仕上げたのではないだろうか。

ヴォネガット作品に度々登場した孤独で不遇なSF作家、キルゴア・トラウトは、リプレイ終了後に
「あんたは病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある」と、混乱する人々を励まし続けた。
そして、たくさんの人々から感謝されたトラウトは、一人ぼっちではなくなった。もう孤独じゃない!

「タイムクエイク」は、ヴォネガットのラストの小説であり、
これまでのヴォネガットの小説を継続して読んできた読者への特別なプレゼントでもある。
そのため、他の本を読んでない人にとっては、おそらく意味不明な描写も多いはずである。
が、個人的には、いろんな思い入れのある作品だ。